カミカゼを照らせ

どっかのペイガンメタラー食人蛮族の話です

諸行無常インターネット

先日、ふと思いついてTumblrのあるアカウントを見に行った。ところが、フォローリストを何度流しても見当たらない。もしや、と思い自分のブログ投稿を遡り、リブログしていたはずのそのブログのポストを掘り当てた。そこには、

”vershairyguy-deactivated...”

うわっと思った。そのブログは消えていた。しかも彼のInstagramのアカウントもフォローしていたのだが、そちらも消えていた。
vershairyguyは、ヒゲロン毛でうまそうな体つきのお兄さんがヌードを延々自撮りしているだけのアカウントだったのだが、彼が本当にうまそうだったので隠れファンとしては非常にショックだった。今は数枚ローカルにダウンロードしていた画像と、リブログやイイネをしていたものだけ今も見ることができる。
くそっ、こんなことなら片っ端から保存しておけばよかった…と下世話な悔しさを噛み締めながら、しかし私は前にもこんなことがあったなと思い出していた。その時は、もっと悲しくなったものだった。それは”友達”だったからだ。

 私は他の多くの人がやるように、Tumblrで好みの男をリブログするだけのブログを運営している。フォローしていたのも同じようなアカウントばかりであるが、その殆どはゲイ男性が運営しているらしきアカウントだった(本人が何も説明していなくとも、一般的に”女が好む男”と”男が好む男”の系統が微妙に違うのでアカウント主が男か女かは案外わかる)。その中で相互フォローなども発生するし、たまにメッセージを送ってくる人もいるが、大抵は「良いブログだな」「どうも!」で終わるのが常だった。だが、彼は違った。アカウントの頭文字を取って、彼はSとしよう。

S「いつもいい画像を投稿するね!」
S「ところで気を悪くしないでほしいんだが、君は男なのか?女なのか?」
私「実のところ女だ。だがトランスジェンダーみたいなものかもしれない…女だということを面白く思ったことはない」
S「そうか。なら”野郎”って呼ぶことにするよ」

こうして彼とのチャットが始まった。彼はアメリカ人で、私と同じく長髪の男性を好む黒人のゲイだった。なかなか出会うことのないカテゴリの相手だ。私は普段あまり友人にでもふと用もなくメッセージを送るというのが苦手なのだが、不思議と彼にはそうできた。交わす話題はもちろんそれがきっかけの下世話な話から、やがて哲学や政治の話まで波及した。その当時、アメリカーーいや世界は、あの大統領選で沸騰していた時期だった。トランプとヒラリーの争いだ。そして、Sは熱烈なトランプ支持者だった。

奇妙に思える。セクシャルマイノリティであり有色人種であり、所謂反トランプ陣営に身を置いていそうな人物でありながら、彼はトランプの目指す”偉大な、そしてひとつの”アメリカに熱狂していた。同時に私の国、日本について尊敬の念を持っていると言っていた。それらすべての考えは彼の中で対立するものではなかったのだ。私は基本的にリベラリストであったし、恐らくアメリカ国民であったならトランプを支持はしなかったろう。しかし同時に世界の”リベラル貴族”たちのご高説にはうんざりしていたし、対岸の家事を面白がるような、卑劣な傍観者としての感情もあって、Sのことをどこか清々しく思っていた。

それでも私は最後にはヒラリーが勝つだろうと思っていた。それほど真剣にアメリカ大統領選に注目してもいなかった。だがメッセージに、
「トランプが勝ってる!」
というSからの通知がきたので、あるウェブサイトのリアルタイム開票を見た。Sが歓喜しているのを私は眺めていた。 そしてトランプが勝って、それからしばらくSは興奮気味に、ブログにもトランプを讃える記事を投稿していた。その後反トランプ陣営の人々がトランプ支持者を襲撃したとかいう事件を見た後、「大丈夫か?」とメッセージを送って、「大丈夫だ。でも正直恐ろしい。特に家族が心配だ」と返事をもらっていたこともあった。

彼がなぜアカウントを消したのか、私にはよくわからない。彼はチャットしていないときでもしょっちゅうリブログやイイネでこちらに通知を飛ばしていたので、確かそれが随分長いこときてないな、と思ってメッセージ欄を開いたのだと思う。そうしたら、もうそこには何もなかったのだ。アカウント名と、ブログが閉鎖された日付だけが残されていた。

もし、彼が完全に快活で、自信に満ちており、そしてトランプのこともなかったら、私は今でも彼のことを思い出したりしなかったかもしれない。だが彼はそうではなかった。突然”消えて”しまうに足る(と私には思われる)暗さを彼は持っていた。

しかし、多分実際は、どこかでリアルライフを楽しんでいるのだとは思う。ただあの場から離れてしまっただけで、別になんてこともなかったのだと。そうだとしたら、どこかでまた会えるのかもしれないと期待しているのだ。私はポルノ絵を描いているから、それがすこし名が売れたのなら、もしかしていつか彼に届くだろうか、などと。