カミカゼを照らせ

どっかのペイガンメタラー食人蛮族の話です

魔都TOKIO、人肉肉詰め

 先日おれは祖国蝦夷を離れ、東京へと旅行した。その時たまたま、留学に来ていたフィンランド人の友人と会って話をする時間があった。一杯やりながら、彼女に日本、もとい東京はどうだいと尋ねたのだが、「森がない。」と返された。…彼女は所謂国家的田舎森と湖の国であるフィンランドの中でも、さらにかなりの僻地であるLaplandの出身である(人間より木とトナカイの方が多いとかいうネタにならないネタがある地域だ)、そう感じて不思議ではないが。

 彼女は都民の友人に、「東京の森はどこ?」と聞いたことがあるそうだ。そうしたら、「東京に森なんかないよ!」と返ってきたという。おれは東京には数度訪れたことくらいしかないが、確かに森はそうそう無かろう。彼女は続けて、どこだったか、神社かどこかを観光に行った際、小さな木立を見つけたという。そこでそのほんのぽっちりの木々を、「これは森なんだ…」と思い込もうとしてみたわ、と笑っていた。

 彼女はド田舎出身だが、別段自然に固執していたタイプには見えなかったし、むしろ日本のポップカルチャーに憧れていたり、どちらかと言うと都会に行きたいタイプに見えたから、ちょっと意外だったのだ。「No forest, no life」などと言うセリフを彼女の口から聞くことになるとは思わなかった。

 

 おれは元々蝦夷の僻地出身だ。公共交通なんか鉄道すらとうに廃止されたようなところだった。今はそこそこでかい都市へ移ってきたが、人生中において満員電車とかいうやつとは無縁だった。最近になって、ちょくちょく首都へ来る機会があり、その度にあの馬鹿みたいなすし詰めに出くわす度に、「絶対こんなところで暮らせるか?畜生」と思っている。

 さっき、ツイッターのTLに「満員電車でスペース空けて詰めないやつ、死ね。」というつぶやきが流れてきた。おれはこの間満員電車に乗る羽目になっていた時、「このクソ詰まってるのにまだ乗ってこようってのか。野郎どもイカれてやがる!」と思っていた。自分用のエアスペースが確保されていなければ人間は死ぬのである。そして各々が自分のエアスペース分の空きを確保して乗れば、こんなクソ詰めにはなっていないはずなのだ。どう考えてもそこを無理やり押し込んで乗ってくる奴が邪悪である。ところがそれが首都人の間ではそうはならないらしい。奴らにとって邪悪なのは、「スペースを空けるやつ」の方なのである。おれは、こいつら皆狂っているなと思った。

 

 おれはフィンランドに行くまで、プロのメタルバンドのライブには行ったことがなかった。わざわざ東京に出張ってまで観たいバンドなんかそもそも来日しないし、留学前は今より更に腰も重かったし。フィンランドで初めてStam1naのライブを観に行って、それからあちこちで箱やら野外フェスに行ったり最前で頑張ったりもしたものだが、どこも東京のライブと比べると信じられないほど快適だーーいや、東京のライブが信じ難いほど不快なのだが。

 首都人のメタル好きの友人から聞いてはいたが、帰国して初めて東京のライブに遠征して、「ひでぇなこりゃ」と思った。中央前列二番目くらいのところにいたのだが、トリのバンドが始まった瞬間後ろから人が皆突撃してきて、満員電車状態。そのまま一時間半だ。正直、途中で「早く終わってくれ」と思っていた。余程死にそうな顔をしていたのか、最後にヴォーカルがピックを手渡ししてくれたのが救いだった。

 …あの人フィンランド人だったしやべぇと思ったのかな、だってヨーロッパなんかどこ行っても、日本でのトリ前のバンドまでくらいの間のとり方だからな。腰落としてヘドバンでもまったく余裕である。それくらい密着してくる奴なんかいない。いないのだ。こっちで密着しているからこそ楽しいとかほざいている奴がいたが、あのツアーの時は別会場で酸欠だか脱水でショウの間にぶっ倒れた人がいたらしい。はあ、それが面白いだと?

 

 首都人はあれが普通だと思っているらしい。それとも平均的日本人の思想だとでも言うのだとしたら、それはもうあのシステムが狂っているのである。毎日毎日、鉄管に詰め込まれ凝縮されほとんど一個になりそうな肉の群れが、高速で走り回っているのだ。まるで「それが正常だ」とでもいう態度で。

 たしかに「当たり前」なんだろう。しかし「正常」ではない。彼処で暮らしているうちに、そう思い込むようになるそうだが。おれとしては、この「正常」らしい幻は、本来真っ当だった人間すら邪悪に変えてしまうというのではやく解決されるべきだと思うが、やはり難しいのだろうな。悲しい肉詰め。